船津恵美子


(上) ショパン・コンクールに思う

 私がワルシャワを訪れたのは十月初旬、穏やかな、抜けるような青空のもと、黄金色の秋が輝いていた。深紅のゼラニウムの鉢に彩られた国立フィルハーモニーの正面には各国の国旗がはためき、ピアノの鍵盤をデザインした旗も目に飛び込む。そう、五年に一度のショパン国際ピアノコンクールが開催中なのだった。
 審査員席からは、かつての覇者、私の大好きなアルゲリッチも熱い視線を注ぐ。若き才能が最初の一タッチで異様な静寂をうち破るあの一瞬、もうたまらない!最高。 
 晴れの栄冠は、初物づくしで、最年少で中国人、ハンサムな18歳のリ・ユンディ青年の頭上に輝き、残念ながら、日本人の最高位は6位入賞の佐藤美香さんという結果だった。が、言うまでもなく、ショパン・コンクールは世界で最難関のピアノコンクール。大殊勲である。
 過熱気味のコンクールの功罪についてはよく語られるが、半端ではない量と質の選択課題曲を弾きこなし、緊張の極致でそれを十二分に披露できる力量は、明日の名ピアニストの、必要十分条件ではないにしても、すばらしい必要条件なのは言うまでもないだろう。
 ビデオ審査によって出場資格を得た98人の挑戦者のうち、日本人は23人、とダントツ。それに続く中国勢や韓国、台湾勢を合わせると半数を占める。この現象は「東アジア」における音楽的状況を、良い意味でも悪い意味でも反映しているのだろう。
 ワルシャワっ子の友人が肩をすくめながら、「昔のようにショパン・コンクールの覇者というだけでスーパースターではなくなり、『東アジア』のピアニストのための登竜門に変質してきているこのコンクール、あまり私たちは熱くならなくなってきてるよ」という言葉がぐさりときた。
 もうひとつ考えさせられることは、ショパン・コンクールでも日本のコンクールでも、最近の審査基準がなにやら、強烈な個性的表現よりもスタンダードな解釈とミスのない技量を高く評価することに偏る傾向を感じることである。アルゲリッチがあのポゴレリッチの予選落ちに憤慨し、「彼は天才よ」と言い残して審査委員席を蹴って立った”伝説”も記憶に新しいし、今回は、注目されていた全盲の梯剛之君も予選落ちだったし、技量か音楽性か、個性か、音楽コンクールのありかたをいろいろ考えさせられたのだった。
 たしかに最近のヨーロッパの若手音楽家はあまりコンクールに目の色を変えなくなってきているらしいし、海外のコンクールでの日本人の成績に、オリンピックのように単純に一喜一憂する状況ではなくなってきている、そんな気がする。


(下) オペラ四〇〇年祭に思う

 時は1600年10月6日、処はフィレンツェ。メディチ家のマリアとフランス王アンリ四世との結婚の宴もたけなわ。参列者はとっておきの余興である、これまで観たことのない斬新な音楽劇に目を見張り、「ブラボー!」を繰り返したのであった。音楽史上初のオペラ、ペーリ作曲の「エウリディーチェ」の誕生の光景はこんなふうであったろうか。
 今回のポーランド訪問のそもそもは、ワルシャワ室内オペラ(WOK)が開催する「オペラ四〇〇年祭」に招待されたからだった。ちょうど400年後の同月同日の「エウリディーチェ」上演を皮切りに、一年間にわたり、バロックから古典、ロマン、現代にいたるオペラの歴史を辿るという信じられないオペラ祭である。それを知ったのは、昨年十二月に松本にも「フィガロの結婚」をひっさげて来たWOKの旧知の指揮者からだった。そして春になると思いがけずもWOKの創設者で総監督であるストコフスキ氏から招待状が舞い込んだのだ。
 ワルシャワ中心部にあるWOKの劇場は寄贈された貴族の瀟洒な宮殿を改造したもので、マホガニー色を基調としたシックなロビーには、主催者からのもてなしのワイングラスが並び、貴族の舞踏会に紛れ込んだような気さえする。劇場の収容人数は一階二階合わせてもわずかに160席余り。歌手たちの息づかいすら聴き取れるほどの舞台との緊密な距離、古楽器のデリケートな音もオーケストラピットからやさしく場内に満ちる。こんなに贅沢なオペラ空間があるなんて、にかわに信じがたい思いだ。ずいぶん昔に訪れたバイロイト祝祭劇場での感動と重なる。
 そして「エウリディーチェ」。音楽学者のストコフスキ氏は、オリジナルの楽譜から現代の五線譜に書き直すことから準備を始め、元々のオペラ創案の意図を尊重した演出を模索したのだと語ってくれた。それは、タペストリーを下げただけの簡素な舞台と豪華絢爛な衣裳という対比により、聴衆に無意識にも歌手たちへの集中を促すものであった。つまり、本来、歌詞が明瞭に聴き取れることを目したバロック初期のオペラの醍醐味を倍加する心憎い演出だ。私のオペラ体験の中でも、生涯忘れることのできない夢のような至福の一夜であった。
 でも、ただでさえ金食い虫のオペラなのに、公的財政支援も微々たるものだろうに、なぜ、キャパ160の「お伽の国の劇場」で、歌手や指揮者やスタッフ、総勢280人を擁するWOKがこのような上質のオペラを追求できるのか、という疑問はだれでも抱くだろう。それはただただ、オペラへの哲学や情熱によりプジョーやシェーファーといった国際大企業スポンサーを惹きつけるストコフスキ氏のカリスマ性に尽きるであろう。
 再来日の可能性もあるとのことだが、「エウリディーチェ」は無理だろう。なにしろ日本にはWOKの真の持ち味を生かせるお伽の国の劇場はなく、巨大な「ガリバーの箱」しかないのだから・・・。


(これは2000年12月16日・23日に信濃毎日新聞に掲載されたものです。
著者の許可、並びに信濃毎日新聞社の了解を得て掲載しています。)

船津恵美子さん
(旧姓)山元恵美子さん、三国丘高校21期生、神波ホーム
桐朋学園大学音楽学部卒業。音楽家。
元愛知県立芸術大学講師、2001年現在、信州大学講師
古典音楽研究のため1981年-1984年インドで,1997年-98年オーストリア(ウィーン)で暮らす。
2001年10月から、ウィーン市立図書館所蔵のシューベルトの自筆原稿調査のため、ウィーンと日本を行ったり来たりする生活を送る予定。